公開ワークショップ
「身体的経験をめぐる人類学と現象学からのアプローチ
―不完全な身体、人種と身体、妊娠期の身体の事例から」

概要

身体の問題は、文化人類学や哲学などの分野では以前から繰り返し取り上げられてきた古くて新しい主題だと言えます。そして現代では、いわゆるグローバル化にともない、私たちは電子メディア等を通じて、これまでにない規模で、あらゆる/たくさんの身体的イメージや表象に晒されつつあります。その結果として、身体に関するグローバルな規模での標準化や画一化の圧力に晒されていると同時に、にもかかわらず(だからこそ?)他方では各地のローカルな文化や文脈ごとの意味づけ等も逆に重要性を増しつつあるようにも見えます。また一見すると「同じ」ように見える特定の文化や社会のなかでも、実際には人種やエスニシティ、ジェンダー、あるいは個人が直面する状況や場面などに応じて極めて多様な身体的経験の可能性に開かれています。こうした状況を踏まえ、今回の公開ワークショップでは、文化人類学と哲学(現象学)を専門とする3人の研究者を招いて、それぞれバリ島の芸能等における「不完全な身体」の表象、人種差別における身体化や感覚の問題、妊娠期における女性と胎児の身体という異なる身体的経験に焦点を当てた報告を行います。こうした個別の事例報告と総合討議を通じて、必ずしも「標準的」で日常的な身体的経験の範囲には収まりきらないような偏差を含みこんだ多様な身体的経験であるとか、そうした経験を考察する際のアプローチに関して学際的に比較検討することを目指しています。なお本ワークショップは科研新領域「トランスカルチャー状況下の顔・身体学の構築」人類学班(A01P01)哲学班(C01P01)による若手育成・アウトリーチ活動の一環です(入場無料・事前登録不要)。

  • 日時: 2018年5月19日 (土) 15:00-18:30
  • 場所: 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 (AA研) 306号室 (アクセス)
  • 問い合わせ: infokj@tufs.ac.jp (AA研基幹研究人類学事務局)

プログラム

  1. 趣旨説明: 床呂郁哉(AA研)
  2. 報告1: 吉田ゆか子(AA研)「バリ島のコメディにおける不完全な身体の表象をめぐって」
  3. 報告2: 関本幸(ミネソタ州立大学マンケイト校)「人種と身体性:感覚経験の現象学」
  4. 報告3: 宮原優 (立教大学)「妊娠期における身体図式の変容および胎児との関係についての現 象学的記述」
  5. 総合討論

各報告者要旨

報告1: 吉田ゆか子(AA研)
「バリ島のコメディにおける不完全な身体の表象をめぐる人類学的考察」

インドネシア・バリ島の仮面舞踊劇トペンは、儀礼に集う神々や人々、そして地霊・悪霊に向けて演じられるもので、壮麗で威厳ある王やその家臣たちによる歴史世界をベースにしている。しかしその後半では、役者(通常は健常者)が麻痺のある不規則な歩き方や吃音を模倣したり、口唇裂を誇張した仮面やゆがんだ顔の仮面をかぶったりして滑稽な村人役を演じる。観客たちはこれを見て大いに笑う。本発表では、こういった身体の欠損や不具合を模倣するジョークに注目し、その内容とそれを受容する人々の態度が反映する、バリの身体観および障害観について考察する。イングスタッド&ホワイト編『障害と文化』(2006)は、西洋的な障害のカテゴリーや障害者の位置づけが普遍的ではないことを、非西洋地域の複数の事例より示した。人間の身体における欠損や不完全さが担う意味は、生物学的側面のみならず、文化的文脈によっても規定されている。本発表では、こうしたジョークを、劇の構造や、現地語の語彙、バリ・ヒンドゥ教の教義と関連付けながら分析してゆく。

なお、現代バリにおいては、身体的な「欠陥」を模倣する演技に対して多様な見解がある障害者を笑いものにしているようで非倫理的だといって、厳しく批判する者たちもおり、こういった演技を含まない上演を模索する動きも近年顕著になっている。本発表の後半では、不具合のある身体を演じる演者、傷やゆがみのある顔の道化面を作る仮面職人、そしてこうしたジョークを笑ったり笑わなかったりする観客たちの声を紹介しながら、「障害」の演技が意味づけられ、交渉されてゆく現在進行形のプロセスを考察する。その中では、我々日本人と彼らバリ人といった単純な二分法が有効ではないことや、バリの障害観、身体観のダイナミックな様相も浮かび上がるであろう。

報告2: 関本幸(ミネソタ州立大学マンケイト校)
「人種と身体性:感覚経験の現象学」

人種はどのようにして身体化されるのか?人種が身体化される過程で、感覚経験はどのような意味を持つのか?これらの問いに基づいて、人種と感覚の関係性を現象学と感覚学(sensory studies)の視点から模索する。人種は社会的構築物として様々な学術的批判が存在するにも関わらず、人種的な差異は日常生活の中で普遍的で自明なものとして認識されることが多い。同時に、人種的な差異・差別の対象になる人々にとって、人種は自己経験の原点としての<からだ>に深く影響する。<からだ>は感じる主体であるにも関わらず、人種についての学術的な批判は記号論的な身体的差異の意味づけの分析に偏ってきた。今回の発表では、「身体について考えること」から「からだで感じること」へ視点を変えて、どのように身体感覚を通して人種的身体性(racial embodiment)が形成されるのかを考察するとともに、人種を<構築物=モノ>としてではなく、社会的、歴史的に統制、統合、変容し続ける<感覚環境>(racial sensorium)として理解する可能性を探る。

報告3: 宮原優(立教大学)
「妊娠期における身体図式の変容および胎児との関係についての現象学的記述」

メルロ=ポンティの代表作『知覚の現象学』において「身体図式」は最もよく知られた概念の一つである。「身体図式」は身体を一つの全体として統制するのみならず、新たな運動習慣や知覚を可能にする働きとして語られる。しかしながら身体図式の機能はあくまで「健康な男性」の「安定した状態」を前提とした概念である。つまり、日々身体やその状態が変容し続ける妊婦には、「新しい運動習慣の獲得」は不可能であり、「身体図式」の概念からは取りこぼされてしまうように思われるのである。この発表では「身体図式」の概念を検証しつつ、この概念のもとに妊婦の経験がどのようなものとして理解されうるか、記述することを目的とする。

また一般に、妊娠は妊婦と胎児の「共存」「共生」であると考えられ、理解されている。新たなパートナーとの共存は、運動習慣や知覚の変容など、身体図式の更新を促すものとして理解される。しかしながら妊娠期において注目されるべき特殊性は、胎児が目に見えず、実存の領野に現れているわけでもないという点である。目に見えず、具体的に感じられることの少ない胎児と妊婦は、いかにして関係を構築し「共存」していくのか、またその場合「身体図式」はどのようなものとして位置付けられるのか、自身のケースをもとに考察を展開する。

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